『迷える者の禅修行』
2011-05-05|本
ネルケ無方著『迷える者の禅修行』新潮新書、2011年
久し振りにおもしろい本を読んだ。
内容は、禅にひかれ来日参禅し、兵庫県の山奥にある修行寺安泰寺の住職になった(なっている)ドイツ人僧侶の自伝である。
仏教入門書的な部分もあり、曹洞宗と臨済宗の雲水の修行生活を垣間見ることができる。私自身、臨済宗の僧侶でなくてよかったと、爆笑しながらもホッと胸をなで下ろした。
「仏教は私たちの生き方です。死人を相手に商売することではありません。」とまえがきにあるとおり、釈尊あるいは道元の仏教を実践してきた著書の生き方は仏教の原形態を連想させる。
ただし、死人あるいは死を悼む人々を相手にし、そのレヴェルでの安心を与えることをしてこなかったならば、日本仏教もインド仏教と同様滅びていたであろう。だからと言って、現在の仏教の在り方を無批判に受け入れることもできないが、宗教に対する多様な要求を受け入れるとことのできる柔軟性が教団には必要だろう。
久し振りにおもしろい本を読んだ。
内容は、禅にひかれ来日参禅し、兵庫県の山奥にある修行寺安泰寺の住職になった(なっている)ドイツ人僧侶の自伝である。
仏教入門書的な部分もあり、曹洞宗と臨済宗の雲水の修行生活を垣間見ることができる。私自身、臨済宗の僧侶でなくてよかったと、爆笑しながらもホッと胸をなで下ろした。
「仏教は私たちの生き方です。死人を相手に商売することではありません。」とまえがきにあるとおり、釈尊あるいは道元の仏教を実践してきた著書の生き方は仏教の原形態を連想させる。
ただし、死人あるいは死を悼む人々を相手にし、そのレヴェルでの安心を与えることをしてこなかったならば、日本仏教もインド仏教と同様滅びていたであろう。だからと言って、現在の仏教の在り方を無批判に受け入れることもできないが、宗教に対する多様な要求を受け入れるとことのできる柔軟性が教団には必要だろう。
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