禅語的日日是好日

禅語、日常、本などについて記していきたいと思います。

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麻三斤(まさんぎん)

「仏とはどのようなものか」との問いかけに、洞山守初は「麻三斤」と答えた。黄檗は棒でしたたかに打ち据えたし、臨済は「喝」と吼えたのだから、実に非暴力的な答えだ。

かの弟子は安心して「南方には竹藪があるし、北方には森があるのか」とひとりごちたのだろう。

重さ三斤の麻があれば、僧侶のお袈裟一着が作られる。仏とはお袈裟を着ているおまえ自身であり、おまえを離れては存在しない。南方に竹が、北方には木が多いのは自然本来真実の姿であり、おまえにはおまえの仏としての形があり、他の者も同様だ。

 それにしても何故こうも人ごとなのだろう?死ぬのも、苦しみ悩むのも自分なのに、すべて人のことだと思っている。「屁ひとつだって、人と貸し借りできんやないか。人人みな『自己』を生きねばならない。」とは澤木興道老師のことばだが、仏も「自己」のほかにおいてあるわけないやろ!
『景徳伝灯録』巻22。
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浜岡原発は廃炉に!?

管首相の要請を受け、中部電力が浜岡原発の全面停止を決定したが、「全面停止」では不十分だ。

まず、停止では原発の中に核燃料が残っている状態だ。
つまり福島第一原発の停止中の4号機と同様であり、4号機は電源喪失によって水素爆発が起きた。

防波壁、あるいは防潮提を作った後に運転再開とのことだが、そんなもので津波を防げる保証はない。
そもそも浜岡原発が危ないのは、直下型の地震が起きる可能性が高いからではないのか?

したがって、廃炉にしなければならない。

原発がなくなると電力不足になるのでは、と心配されているが、ピーク電力がこれまで原発以外の発電所で作った電力量を越えたことはない。↓
日本全体で見れば、原発が稼働しなくても火力と水力で十分賄える|ダイヤモンド・オンライン

(中部電力に限れば、中部電力の電力供給は足りないか|河野太郎公式ブログという資料もある)

地元の経済はどうなるのかという心配もある。
これについては国が当然面倒を見るべきだ。

以上から、浜岡原発だけではなく日本全国すべての原発をできるだけ早く廃炉にするべきと考える。

原発に関して詳しいことは、 以下を参照のこと。
広瀬隆 特別インタビュー 「浜岡原発全面停止」以降の課題|ダイヤモンド・オンライン

このようなことは、坊主の言うべきことではないのだが、あえて主張したい。
だいだい人間、騒ぐとろくなことはない。
靜かに坐禅しているのが、禅坊主に分相応なのだが、原子力というのは自然の真実に逆らうものであり、どうにも我慢できなくなった次第だ。

東日本大震災チャリティー講演会

東日本大震災チャリティー講演会の講師を勤めてきました。

マルフヂ葬祭という葬儀社の主催です。

聴衆は100人ほど、丸いテーブルに飲み物などが出ていて、ディナーショーならぬランチショーという様相でした。
このような舞台設定は、初めての体験でした。

「心と絆の大切さ」というテーマで、40分ほど話しました。

知ってる顔もチラホラでしたが、結構疲れたなあ!

東日本大震災チャリティー講演会

まだ桜が咲いていました。

久し振りに五十公野公園に行ったら、まだ桜が咲いていました。

結構人がいて、蒸気パン(ポッポ焼き)の露天なども出ていました。

晴れると気分がいいですね。
升潟の桜

『迷える者の禅修行』

ネルケ無方著『迷える者の禅修行』新潮新書、2011年

久し振りにおもしろい本を読んだ。

内容は、禅にひかれ来日参禅し、兵庫県の山奥にある修行寺安泰寺の住職になった(なっている)ドイツ人僧侶の自伝である。

仏教入門書的な部分もあり、曹洞宗と臨済宗の雲水の修行生活を垣間見ることができる。私自身、臨済宗の僧侶でなくてよかったと、爆笑しながらもホッと胸をなで下ろした。

「仏教は私たちの生き方です。死人を相手に商売することではありません。」とまえがきにあるとおり、釈尊あるいは道元の仏教を実践してきた著書の生き方は仏教の原形態を連想させる。

ただし、死人あるいは死を悼む人々を相手にし、そのレヴェルでの安心を与えることをしてこなかったならば、日本仏教もインド仏教と同様滅びていたであろう。だからと言って、現在の仏教の在り方を無批判に受け入れることもできないが、宗教に対する多様な要求を受け入れるとことのできる柔軟性が教団には必要だろう。
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